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第一話
 20世紀風の大きな邸宅の車止めに音もなく黒い車が滑り込む。微かなエアー音と共に軽い逆噴射が掛かり、僅かな衝撃も無くその車は地に着いた。
「お帰りなさいませ」
 車から降りるミドリに手が差し伸べられる。
「…ただいま」
 不機嫌そうな主人の様子にわずかに眉をひそめながらも、ジンはいつものようにそれに気づかないふりを装い、小振りなスーツケースと使い古したアタッシュケースを手際よく車から降ろす。
 ”教授”とミドリの相性は最悪だった。こうして教授の所から戻ると、必ずミドリは不機嫌になる。ジンとしてもそのことは百も承知であったし、これ以上機嫌を損ねるのも本意ではなかったが、伝えるべき事は伝えなくてはならない。
「先ほど、レイ様がお見えになりました」
「そう」
 案の定、ミドリは更に声のトーンを落とし、苛々した口ぶりで面倒くさそうに答えた。
「今回のご不在をご存じなかったようで非常に残念そうなご様子でした」
「私のスケジュールを全部知らせる必要はないでしょう」
「ですがレイ様は…」
「ジン」
「…はい」
「少し横になる。荷物はラボに置いといて」
「…かしこまりました」
 ジンがそう呟いた時には、ミドリの姿はもう消えていた。


 カタカタとキーボードを叩く音が響く。
 今となっては骨董品でしかないこのキーの感触が、ミドリは好きだった。光線のみで形成されたセンサーキーや、空間に浮かび上がったポインタを操作する手法がどうして一般的なものとして普及してしまったのか理解に苦しむ。時折バネが戻らなくなったり、定期的に分解洗浄をしなくてはならない──そんなアナログな所も気に入っていたし、何より、デジタルのみで全てが処理されてしまうことに対し虚しさを感じていた。
「失礼します」
 軽いノックの音と共に、現在の技術水準を遙かに超えたアンドロイドが姿を現す。
「お茶を持って参りました」
 ジンは人類史上最高傑作と謳われ、各所からそのコピーを所望される逸品だった。


 ジンと人間との相違点を外見から判断するのは極めて難しい。
 かつては皮膚──特に目元や口などの粘膜の再現には限界があると言われていたが、それもバイオテクノロジーによって人工的に細胞や繊維を生成することが可能となり、半世紀ほど前から、限りなく人間に近い”人形”が出来るようになっていた。そもそも、現代の人間自体、生まれ持った生体組織のみで一生を終えることがほとんど無い。金に糸目さえつけなければ、人間は外見や健康を維持し続けることが出来る。
 これらの技術がヒューマノイドの開発にも拍車を掛けた。かつて人類にとって”夢”と称されたそれは、限りなく人間に近づいていった。中でも、広義でのハード(ボディ)を製造・開発する技術者であったミドリの父が制作した数々の作品は芸術とまで言われ、ジンはその父が手がけた事実上最後のアンドロイドとして、幼かったミドリに与えられたものだった。
 当初のジンは既製の人工知能を搭載した外観のみに特化したアンドロイドであったが、現在に於いてジンの真価はその完成されたハードではなく、後にミドリが開発し搭載された人工知能にあった。
 一般的な人工知能ですら条件分岐による擬似的な感情表現の再現やその学習速度の向上は目まぐるしい進化を遂げていたが、ジンのそれは、与えられた”学習”や”指導”によるものだけではなく、好奇心や様々な感情などを本当に持っているかのように見える。
 それ故、世界中の科学者や研究機関からのジンを対象とした調査・研究のオファーは後を絶たなかったが、ミドリはジンを”不完全”という理由で頑なに拒み続けていた。


 実際の所、人々の希望とは裏腹に人工知能が感情を持つと言うことは無く、例えそう見えていても、それはあくまでそう見えるだけであって、そこに本当の意味での感情があるわけではない。それは、いかにジンの人工知能が優れていようと、その壁を越えることは出来ないということである。ジンが評価されているのは、その超えられない壁のギリギリ一歩手前であたかもその壁を超えんとしているかのように見えるからであって、ジンに”心”があると証明されたからではない。
 それでも、時折ジンを人と同等に見てしまう人々がいる。
 それは例えば、愛情を持って接していたロボットやヒューマノイドが、あたかもその主人の愛情に応えているかのように感じてしまうことに似ているのかもしれない。それは長いこと、人が持つロマン故のものだと思われてきた。人はそう思いこむことで自分を納得させているだけであって、物や動物を擬人化させる事によって癒しや救いがあるのならばそれでいいという風潮もあった。
 この傾向は家庭用ロボットが普及し出す以前から見られていたが、人の技術がヒューマノイドを生む頃には社会問題を生み、数々の事件を起こしてきたのも事実である。この分野の技術向上は神の領域に踏み込む事に他ならず、それ故、必要以上に人間に近づける為の研究は一握りの公的機関が実験的に行うのみとなり、人工知能の進化はある一定ラインで止まったかのように思われた。
 そして先の大戦──。
 人の歴史が戦争の歴史であるように、どの時代でも良くも悪くも戦争は急速な革新をもたらす。科学技術の発達もまた、戦争によって加速し、その結果数多の人命が失われることとなった。
 終戦後、あまりに急激に起こった人口の減少により、国境すらも意味を無くし、純粋な労働力として再びヒューマノイドを含むロボットの開発が脚光を浴びることになる。そして現在、ヒューマンインターフェースを中心に人工知能の性能向上は残された人類にとっても必要不可欠なものとなっていた。


 ミドリはデスクに置かれたガラスのカップから漂う茶葉の香りを感じながら、傍らで指示を待つジンを見る。
 そこには、穏やかな瞳で主を気遣う青年の姿がある。
 行動を起こす事への判断は主に動機にある。
 人間は状況、立場、感情などから特定の”答え”を導き出し行動を起こす。それは人工知能も同様で、唯一そこに”感情”が存在しないだけ。命じていないにも拘わらずお茶を運ぶという行為も、ジン自らがなんらかの”答え”を出した結果としての行動ということになる。
「ジン」
 シナプスを介した情報伝達はジンすらも意識することなく彼の”脳内”で刻一刻と行われている。そのシステムを組み上げたのはミドリであったが、その限りなく人に近い構造で起こる一瞬一瞬の電位の伝達はミドリですら予測することは出来ない。
「なんでしょう」
 ミドリが声を掛けると、なぜかジンは少々困ったように眉をひそめた。
 ──これも学習から来た行動なのか。それとも、何を言われるのか予測が付いていないことを私に伝える為の単なるアウトプットなのか。いずれにせよ、それは限りなく人間の反応と似通っている。
「…いま、私が声を掛ける前、頭の中にどんなことがあった?」
 ミドリはこういった質問をするとき、”考える”とか”思う”という言葉はあえて使わない。そういった言葉を使うということは、すなわち、”思考する”ということを認めることに他ならないと感じていた。それは広義では”思考”とも言えるわけだが、厳密には比較分岐による演算で答えを出す処理を行っているだけであって、心で感じたわけではない。そこに”感情”は伴わないはずなのだ。
 しかし、ジンはそのようなミドリの思惑を知ってか知らずか、それらの言葉を使う。
「お茶がお気に召すと良いのですがということと、お疲れのようですので早めにお休みになっていただけたらというようなことを思っておりました」
 通常、入力情報が与えられてから処理を行ういうのが一般的な流れだが、高レベルの人工知能では与えられる情報を先読みして予測処理を行う事が出来る。しかしその複雑かつ曖昧な処理能力故に、様々な誤解を生み対応する人々を悩ませているのも事実だった。
「…”というようなこと”?つまりそれは、他にも何かあったということ?」
 詰問するミドリに、ジンは視線を逸らせた。
「…申し訳ございませんが、それを申し上げることはできません」
「それはどういう意味?」
「言葉通りの意味です。お許しください」
 ミドリはチェアの肘掛けに寄りかかったまま、口元に手をやる。
 確かにジンはミドリの所有物である。かつて幼かったミドリの世話役として従事した記録データはそのまま残っており、人工知能の入れ替えを行った後も諸々の雑務や家事などを任せてはいる。だが、一般的なロボットやヒューマノイドのように明確な主従契約がある訳ではない。所有物であるが故に関係は対等でこそ無かったが、本来、この邸内にいる限り行動はあらゆる意味に於いて自由である。
 無論、学習の為の指導は行ってきたが、ミドリの考えを押しつけるような事もした覚えはない。むしろ些細なことで口論になることすらあった。とは言えその内容は必ずと言っていいほど、記憶に間違いなどのない論理的演算処理を行うジンが正論を唱える事ばかりであって、今回のように反抗とも取れるような返答は酷くミドリを戸惑わせた。
「…じゃあ質問を変える。それは、”答えたくない”からなの?それとも、”答えがわからない”から?」
「そのどちらにも当てはまるような気がします」
「”答えがわからないから答えたくない”、そういうこと?」
「と申しますより、より正確を期するなら”答えを出せないから答えることが出来ない”ということだと思います」
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