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第一話
「鬱陶しいなあ、もう」
目を細め顔を上げると、肌にまとわりつくような小雨が頬に触れる。 高台にある神社の境内裏手にひっそりと立つ一際大きな木。その根元はごつごつとした根が複雑に絡み合って地面に吸い込まれている。それらは雑草と苔に覆われていたが、一箇所だけつるつるとした木肌を見せている場所がある。 そこは柚子が最も安心できる場所だった。 祓い屋。 柚子の家族はこの神社を拠点とし、なんとも前時代的な家業をしている。とはいえ、主にその仕事をしているのは母であり、父はこの寂れた神社の管理をしているのが事実だった。 柚子は、その何もかもが厭だった。 祓い屋なんて誰がどう見たって胡散臭い。父や母の言うことが全て嘘だとは言わないが、”何か”を見ることも出来ず、その”何か”を感じることもできない柚子には、時折両親の事が詐欺師に思えることすらあった。 『それで誰かの心が救われるならいい』 そんな子供漫画のヒーローみたいな事を言われても納得することなんて出来なかった。 人の心の中なんて解るわけがない。 ──父や母にはそれすらも見えている。 幼い頃はなんとなくそう思っていた気がする。両親のしていることに疑問を感じる事もなかったし、なにより、誰かの役に立っているように見えた両親が誇らしかった。 それがいつからか、その全てに厭気が差すようになっていた。 留守がちな母と、その母を支えながら訪れる人々に優しい笑顔を向ける父。 もっと自分を見て欲しかった。それは単なる嫉妬から来る柚子の我が儘であることは百も承知だったが、それでもそう思ってしまうものは仕方がない。 ─―結局、父も母も柚子の心なんてこれっぽっちも理解していないのだ。 そう思ったら全てが胡散臭く感じられた。 「はぁー…」 その日何度目かのため息を吐いたとき、ざわ、と木の葉が揺れた。 びくりと肩を竦め、柚子は辺りを見渡す。 ――いま、なにか… 誰かの声が聞こえたような気がして耳を澄ますが、聞こえてくるのは葉擦れの音と小雨が鳴らす微かな音だけだった。 背筋がぞくりとする。 『…いちまん…』 その声はそう言っていたようだった。 雨雲は相変わらずどんよりとしていたが、まだ日は落ちていない。それにも関わらず、辺りがす、と暗くなった気がした。心なしか気温も下がったように思え、柚子は無意識のうちに両腕で自分の体を抱きしめていた。 「シュウ!」 言いしれぬ不安感が募り、柚子は素早く立ち上がると、いつからか境内に住み着いた犬の名を呼んだ。 シュウが吠えただけかもしれない。 そう思いたかった。 だが、呼べばすぐさま飛んでくるはずの犬の足音は聞こえてこない。 その代わりに聞こえてきたのは、低く呟く男の声だった。 「…さすがにそれは、あんまりじゃな…」 柚子はあまりの恐怖に何かに縋り付きたくなり、只必死に犬の名を呼ぶ。 「…シ、シュウ…!」 「あの犬なら蔵の床下で寝ているぞ」 「…!?」 頭上から振ってきたその声は、何が可笑しいのか笑っているようだった。 ――やはり聞き違いなんかではない。 そう思って恐る恐る大木を見上げると、ぼろぼろになった草履を履く足が視界に入る。そこから更に見上げると、これまたぼろぼろの着物を纏った男が枝に腰掛けていた。 「…あ、あんた、誰よ!?」 「おまえ、気を付けた方がいいぞ」 「…はぁ?何言ってんの?」 「まあここにおる限りは滅多なことも無かろうが、そうも行くまい」 「全く意味がわかんないんですけど?」 男はその枝から飛び降りると、に、と笑って柚子の口元を指す。 「同じ場所で同じ事を思い同じため息を繰り返す」 「…そ…それが何なのよ」 「それが負のものである所が問題じゃ」 相変わらず男の言わんとしている事は全く解らなかったが、距離が近づいたことでそれが人であると解ると、柚子の恐怖心は少し和らいだ。そして次に来る感情は怒り。 「あんたに説教される覚えはないんですけど?用があるなら表へ回ってくれる?ここ私有地なんだけど?」 柚子の怒りにも全く動じず、男は笑う。 「私有地、ねえ…」 一家が住まいとしている建物以外の場所は基本的に何時誰か訪れようが全く問題は無いのだが、この場所はいつからか柚子が大事にしていた柚子だけの場所だった。 誰がなんと言おうと、この場所だけは守りたかった。 ――一刻も早くこの場所からこいつを追い出したい。 柚子は只そう思っていた。 「そう心配するな。わしが助けてやる」 「はぁ?本当に意味がわかんないんだけど。あんた何なのよ一体」 「わしはまあ…所謂祓い屋じゃ」 そう言って男がまた、に、と笑った。 ぷつり。 柚子の中で、何かが切れた。 最も忌み嫌う柚子の家業。事もあろうに、それを生業としている家の娘に向かって何を言うのか。 「あんたさ、ここがどこかわかって言ってんの?」 「わかっとるよ。ずっと見てきたしの」 「あんたバカ?なんかわかんないけどとにかく間に合ってますんで!」 これ以上もう得体の知れぬ男に付き合う義理もないと、柚子はくるりと踵を返して家へと走った。 |
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